学園生活ものかと思ったら、1話の最後にゾンビものへの急展開
ほのぼのとしたキャラのタッチで背景はゾンビお約束の修羅場という、このミスマッチ感は新しいタイプのゾンビ物のジャンルだと思う
ゾンビについてはもう様々な考察が流布されているのでそれは本家の方々に譲るとして、ゲームとしてのゾンビ話を
日本人は、もちろん世界の人もゾンビ好きだが、特に日本人はゲームジャンルとしてゾンビが大好きである。
これはSteam自体、日本人は購入比率で10位以内に入るのだが、何故かゾンビゲームは更に飛び抜けて購入比率が異常に高いのである。
さて、これが何を意味するのかは非日常と日常の境を微妙な範囲で一歩踏み込む事で現実の領域が一気に劇的に変化する受け入れやすい背景を持っているからなのだろうか?
海外では銃を撃てるゲームが好評だし、日本でもそこそこに売れる、けれど銃を撃つ経験はほぼ持っていないから、その重さや反動、重量からくる疲労感や行動の制約、硝煙の臭いや音や跳弾、反動などをゲームから感じ取るのは難しい
筆者が銃を撃ったことがあるのかというとこれはまぁ、ないが銃が身近にある環境であったことはある。別に軍隊経験者というわけではないが
とはいえ、その感覚でゲームにどの程度実際との差を感じたりする事はまずないだろう
更にゾンビと戦った事のある人がいたりしたらびっくりである。
ただ、ゾンビの場合は、早い速度のゾンビも最近は増えたが、動作が遅く逃げ回る事ができ、音での誘導ができたり、罠をしかけたり、回避したりと、銃がらみのFPS系の相手を撃ち殺す事でスコアを稼ぐ領域とは異なった環境*1を遊べる場合が多い
つまりは、サバイバル+ゾンビとの格闘である。
同時に、今生活している街や近所、様々な現実の施設が瞬時に入れ替わってゲームの舞台となるという臨場感とイメージのしやすさが受け入れやすくしているように自分は思っている。
それと、手軽に非日常を受け入れられるシステムがゾンビゲームとゾンビを主題としたコンテンツだと思う。
ファンタジー世界もテンプレートやお約束でイメージしやすいが、ゾンビ業界は更にスムーズに受け入れやすい環境だと思う。
SFとかだと、まず当人のSF知識によってかなりイメージの差があるものだが…ファンタジーは受け入れやすく、ゾンビは更に共通認識を得やすい
ただ、逆にテンプレート化しているだけに、そこに新たな要素を付け加えないとゲームとしては既に開拓されつくしたジャンルとも言える。
人間飽きるのは早いので、シリーズ物もそろそろマンネリ化してきたゾンビ作品もちらほらとあるようだが…
そういう意味でがっこうぐらしは新しい切り口でのゾンビものの展開だなと思う次第である。(美少女系ゾンビ物は既にいろいろあるんだけどね、でもこのタイプは新しい切り口だと思う、恐らくは同じスタイルの作品は過去に探せば似ているものはあるのかもしれないが…)
原作者が言っていましたが、日常でも生き抜くのが大変なサバイバルの状況、学校生活という命がけの戦い…大げさかもしれませんが、学校が何かとの戦い抜く場所となっていたりする場合もあったりします。
訓練だって命を落とす事もあります、学校よりも更に実社会は更にサバイバルだったりしますが、それを挑む前から諭してもありがた迷惑なだけでしょうし
全てががっちり定められた日常のルールの枠から、カタストロフィーとともに訪れる新しい過酷な環境と現状のしがらみからの解放…規則規制に縛られた窒息しそうな重圧の日常からの逸脱のおもしろさ、そんな魅力をゾンビ作品は持っているのかもしれません。
追伸:
…とか思ってたら、中国に日常世界をバイオハザードされるとは思わなかったぜ。
現実世界で、ウィルスと戦うとか、本当に勘弁してほしい。
洒落なってないんですけど…。
*1:ゲームバランスとしてはかなり優秀で、FPSなどでありがちのスナイピングなどでの一方的な理不尽なゲーム中断がなく、ゆっくりと包囲される為、アクションが苦手な人でも逃げる判断を余裕をもってつけられるので、プレイヤーの反射神経を有る程度は許容し、なおかつやられた際の納得がいくというのが結構重要、わけもわからず一方的に銃撃されて退場だと初心者はまずアクションゲー嫌いやFPS嫌いになる 初心者に配慮する対人FPSってのもまず難しいし、相手にとってはカモでしかないから いちいち気にしてられない… この辺の理由もあって対人が直接自分の行動に影響してこないソロゲーっぽいブラウザゲーは多い もちろん継続性から協力は推奨される仕組みは殆ど搭載されてるのが定石 短時間でで遊べ他人の嫌がらせは受けず、それでいて交流での協力や一体感を共有できる… そういうご都合主義の上げ膳据え膳が今のゲームの難易度の受け入れやすさだろう もちろん例外もあるが…実際 ゲームに何を求めているかって事になるのだろう わざわざゲームでつまらない思いをするために遊ぶ人は普通はいない この点 いわゆるJRPGは設計バランスを細部にとったおもてなし、いわゆる洋ゲーは全体的に大味で何でもできるけど、とりあえずヒャッハーできればなんでもいいや的な傾向が従来はあったのだが、いまはどうだろう?