ここ暫く考え自体が迷走しています。運営自体は回っているのですけれど、たぶん、大それた考えだと思うんです、限られた時間でできるだけ多数の参加者を楽しんで貰おうとする事は限界がある事はわかっています。
過去に蓄積された資料やデータ、参加者の行動そのものも蓄積して背景に取り込み、その交流自身が誰かの冒険の背景になる。
参加者は無意識に遊ぶだけで全体としてそれぞれの冒険者の物語の一部と同化する。
運営の為のシステム調整と来期以降のシステム作成、データ準備、現状の展開のシナリオ展開。
これを全部同時進行させる為に効率を求めると絶対無理が参加者にしわ寄せになってしまう。
製作や調整自体が遊びの一環なのでそれ自体も楽しんでしまうつもりでやっていますので、困難なのは元から承知なのですが…。
管理の効率の為に規約を厳しくすれば萎縮しちゃうし、(参加者が無原則に)自由に遊んでもらうには背景に過去の皆さんが築いて来たものが大きすぎる。
過去の設定がなければ出来る事が徐々に歴史の重さが縛りになってシナリオが限定されていくような…それは歴史の編纂としてみればとても面白い試みなのですが、参加者が望んでいるのは自分の行動で得る自分たちの成果のような気がするし。
未来はいまだ白地図でどんな可能性もあります。
でも、過去に築かれた皆さん(あるいは先代の方々)の行動は無かった事には出来ませんし、それを引き継いで行くからこその面白さと試みの埋めていくピースの面白さもあります。
逆に大きな流れより、人と人との何気ないやり取りも大切だとも思っていますし、それを邪魔するような歴史の流れは果たして『ゲーム』としてやって良いのかどうか(正しいという言葉を使おうとしてちょっと違うなと)、行動の結果は自分達の結果ではなく先代が築いた遺産は、正も負も本当は流れとして受け取らないといけないけれど、心理的には、負の遺産なんて遊ぶ上では邪魔でしょうし。
本当はそんなものも全て演出としてうまく昇華して、影響の少ないものとして調整すれば良いのでしょう。
そうしようとも思っていますが、(書きかけ)