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  ジークス島戦記ロストクロニクルって?

 SOS2(スクリプトオブサーガ)というブラウザRPGを、『時間が合わない、時間が取れない、メンバーがいない』等、TRPGを遊ぶになかなか条件がそろわない人、そして、TRPGって何?という方まで、

『冒険者になりきって冒険世界を楽しもう!』という趣旨で展開されるファンタジーRPGシステムです。 ALFRED-SYSTEM自体は、その時代の可能なメディアでファンタジー世界を構築して楽しもうという趣旨で運営されるゲームシステムです。  ジークス島戦記自体は、多くの媒体で遊ばれましたが、CGIで運営されるのが、ロストクロニクルとなります。

参加料金はありません、『他の参加者と協調して楽しむ事ができる事が参加資格』、
趣味で運営しておりますので、同じ卓に集まった仲間とわいわいやれる場所を提供できればいいなと思っております。

もちろん、遊ぶにはお互いが楽しむ為の礼儀やマナーは身につけてね? ジークス島戦記ロストクロニクル

このページは、ゲームシステムの調整報告や、デザインの参考の為のリンクや情報を集積・分類しておく為のページとして運用されておりBlogとして機能しておりません。 GM本人の雑文やプレイヤーに宛てた情報などが含まれます。 ※ご注意 このモードはGMの備忘録モードです。 参加者に宛てたフォーマットや連絡事項は、
こちら 参加者用連絡事項 です。


参加者用連絡事項INDEXモード です。 追加カテゴリ  TRPG   RPG   PC です。

(※情報の検索用に書き込まれた日付が一致しない場合があります。また、個人用にリンクしていますがリンク先の著作権の管理と許可についてはそれぞれの運営者の方針によって様々です、2010年以降改正著作権法適用下ではダウンロードは違法と判断される場合がありますので、リンク先については個々の運営者の方針をご確認ください。)


守る事の価値と壊す事の価値

ゲームは参加者と運営者双方によって成り立っています。
運営者の提供がなくなれば当然ですが参加者は遊ぶことができません。
また、遊ぶ参加者が居なければゲームは運営できません。

ここに立場の上下はないと言えばそれは綺麗事になってしまいますが、理想はそうありたいとも思います。
それとは別にジークスを含め、GMはゲーム運営は永遠ではありえないと機会がある毎に口にします。
それは、GMがこのゲームを運営が不可能とプライベートや状況が許さなくなれば、参加者の意見がどうであれ、閉鎖を選択する可能性がある事を忘れて欲しくないという事もあります。
と、同時に無意識に永遠であると思ってしまう(展開期間が数年の長期スパンのゲームシステムだけに思いがちですが)故の忘れてしまう事を思い返して欲しいという部分があります。
これは閉鎖をちらつかせる事で関心を引くという意味ではなく、今、出会っている偶然とその共有する時間が無限ではなく有限であり、そしてそれを大切にして欲しいという事を気づいて欲しいと思っています。
それぞれの参加者(と運営者)が有限な貴重な時間を使ってゲームを遊んでいます。
そしてそれに影響を与えるのも貴方のゲームのプレイであり、そして相手と楽しい時間を共有できるのも貴方のゲームプレイであるからです。

貴重な時間だからこそ有意義でありたいとは誰もが思います。
と、同時に『自分にとって最大効率の楽しさ』を求める時、それを静かに見つめる相手が居る事も気づいて欲しいと思います。

GMは数百人、総勢千名以上の参加者の連綿たるエピックサーガを綴るという叙事詩の編纂を楽しんでいますが、同時に幾つかのゲームシステムによって作られた過去の歴史を作って来た参加者に敬意と謝意を感じています。
彼らが居なければ今の歴史は作られていないでしょうし、そして、ゲームという枠組みの中で多くの物語を生み出しそしてそのゲームの流れの為に様々に努力し、新しい歴史を築きあげてきた多くの参加者がいます。
実は本音を言うと、実際、この歴史を守り続ける事が正直恐ろしいです。
GMと現行の参加者が生み出して行く歴史は、過去の参加者が悩んで生み出した歴史を書き換えて行くことです。
そして、それを眺める過去の参加者に今の歴史はどう映るのか?
数百名の参加者の努力を簡単に書き換えてしまう力を今の参加者は持っています。
その誘惑にかられ、歴史を壊す事に尽力する悪意のある参加者から過去の努力を守る事ができるのか? それとも現在の意志と流れを見守る事が、過去の参加者と共にすべき事なのか?
GMには多くの過去の参加者が苦悩した出来事によって生み出された歴史とプレイヤー達の声を記憶しています。
ですが、それは現行の参加者は知らない事ですし、そして、新たに生み出される歴史は、過去の亡霊や意思に囚われるものでもないとも思います。

私は、過去の数百名の参加者達に見守られるに値する歴史を記し続ける事ができるでしょうか?
長くくみ上げられた歴史を破壊する興味本位の誘惑から過去の亡霊達の意思を守る事はできるのでしょうか?

賢者は真実を知るが故に口を噤む。
過去の過ぎ去りし人々は生者に己の想いを託す、だが、その託された者の思いまでは思う余裕は彼らにはない。

長く続くものを壊す時、それをくみ上げた者達のくみ上げるまでの想いを知るものはその事実以上の感慨を抱きます。
それは感傷なのかもしれません。

もしかすると呪縛に囚われているのかもしれませんが、同時に故に安易に閉鎖や崩壊をさせる事ができないとも思ってしまう事に限界がそこにあるのかもしれないと思います。

過去数百名の想いは、現行参加者には知らされるものでも、その重みを感じることもまた希薄でしょうから、知るのは過去の英雄達の歴史と出来事と事件がわずかに残るだけ。
その数十文字の中に数百名の様々な思いが詰まっている事を読み解けというのは酷な話でもあります。
そしてそれゆえに、歴史は過去を知らぬ者達の判断によって新たな道が開かれて行くのかもしれません。

 時に、歴史は繰り返すと評されつつも・・・。

 何が大切で何が必要な事なのか、傍観者たる私には見つけられないこともあるのかもしれません。
 そして、それが必要な事であれば、英霊に詫びつつもいつか選択せねばならない時が来るだろうとも思います。

 一体それが何であるかは漠然として未だ見えては来ていませんが。