ジークス島戦記ロストクロニクル

最近は軍事や時事関連多いですが、別の世界線の話と言うことになってるので本気になさらず(念のため ※TRPG用資料で判定処理の為)

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  ジークス島戦記ロストクロニクルって?

 SOS2(スクリプトオブサーガ)というブラウザRPGを、『時間が合わない、時間が取れない、メンバーがいない』等、TRPGを遊ぶになかなか条件がそろわない人、そして、TRPGって何?という方まで、

『冒険者になりきって冒険世界を楽しもう!』という趣旨で展開されるファンタジーRPGシステムです。 ALFRED-SYSTEM自体は、その時代の可能なメディアでファンタジー世界を構築して楽しもうという趣旨で運営されるゲームシステムです。  ジークス島戦記自体は、多くの媒体で遊ばれましたが、CGIで運営されるのが、ロストクロニクルとなります。

参加料金はありません、『他の参加者と協調して楽しむ事ができる事が参加資格』、
趣味で運営しておりますので、同じ卓に集まった仲間とわいわいやれる場所を提供できればいいなと思っております。

もちろん、遊ぶにはお互いが楽しむ為の礼儀やマナーは身につけてね? ジークス島戦記ロストクロニクル

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TRPGのバベルの塔は建設できるか?

うぅ、やばい、宗教的なワードは自滅&炎上への第一歩なのにのっけからそんなタイトル使ってるよ。
インターネットの普及よりサイトの炎上というのは以前からありましたが、Blogの登場、そしてmixiへと流れていくのですが、本当に数年前まではなかった*1ツールですが、ADSLの普及で爆発的に常設環境が整い、携帯でのアクセスの定額化も最近のものです。
なのですが、既に慣れ親しんでいるツール化している人も多いでしょうし、既にそれが周囲にある環境の世代も増えている現状では逆に無いほうが違和感を感じる人もいると思います。

昔(数年前以前)はよかった、昔と何かが変わったという言葉を聞く事が増えたのもそのあたりに一部の要因はあるのかもと思ってもいます。
従来、その声が人の目に触れるのはそのサークルやその周囲であったものが、今ではクリエイター側にも、同じ興味があるかアクセスした人であれば閲覧できる環境で、従来は知らなかった意見を真近に知る事ができます。

それはすばらしい事でもありますが、同時に従来知らずに済んだ意見の相違や自分の考えに反する意見に常にアクセスすれば接する状況にも至る事になっています。
そこで個々の意見は個々の意見であると出来れば良いのですが、その発言を読むことで影響される人がいる事実もあって、それぞれの意見がその人の常識や意見であるけれども読者を含めた常識や考え方であるように、あるいはそうであるように求めた場合、読者の数だけの意見が生じる事になります。

バベルの塔 - Wikipedia

自分の言葉を、相手に理解できるように、そして誤解を受けないように使っても、人はそれが自分に不快であればそれを拒絶か正そうとします。
同時に、トラブルを起こすほうがメリットがあればそれを選択するでしょう。

故にトラブルや不快を避けるには相手の感情に立った発言や行動をする必要が出てきますが、同時にそれが自分にとってデメリットがあればストレスとなります。
匿名である際により混沌としていくのは自分のデメリットが少ない為でもありますし、相手に面と向かって暴言を吐く際に自分のリスクが無ければ発言は暴走していく例でもあるかもしれません。

TRPGの天へ向かう塔は建設可能なのでしょうか?
人は良い部分より悪い部分をより目についてしまう部分があり、実際には非常に難しいとも思います。
ですが、TRPGを楽しむ姿をこのネットに告知するという方法はネットのあるこの時代では非常に有効だとも思います。
自分達の楽しみ方を至高とせず、それを強要せず、楽しんでいる姿を示す。
同意される方は賛同されるだろうし、その楽しみ方を一例であるとしておけば、共存は可能な筈です。

机上の空論であり、それを強要も強制もすべきとも論じるつもりはありません。
ただ、それぞれの遊び方でいがみ合うのではなく、それぞれの遊び方があるとした上で、自分達の楽しんでいる姿を示す事は、楽しみたいと共感できる人を作るきっかけになるかもしれません。

リプレイを含め、読んで自分も楽しみたくなるような、そのような遊び方の提示、そしてその選択は全て強要や断言ではなく読者に委ねられている。
そのような積み重ねは何時か塔を高く積み上げることに繋がるかもしれません。

塔は現実的には恐らく天に届くことはなく、そして人々の自らの言葉ゆえにその建設は頓挫し、人は離れてゆくことになるのかもしれません。
ですが、その行動がまったくの無意味であるかどうかは、その塔の建設に携わった者にしかわからないかもしれません。
塔を天に届かせることが最終目標であったとしても、その塔を立てる為に集まり協力した事、それは意味のあることなのかもしれませんから。

人は今、個々で従来よりも多くの発信する力とそれを閲覧される事での影響力を持っています。
そして、それを知らず多くの人を傷つけそしてトラブルを引き起こす事に繋がってもいます。
それはひとつの悪いほうの見方ですが、同時に従来知り合えなかった人が知り合い交流を出来るからこそ起こるトラブルでもあります。

皆が周囲の楽しみ方や遊び方を受け入れつつ、そして楽しんでいる姿を示し続ければ、塔は天に届かなくとも皆の集まる場所として高くそびえる事になるのかもしれません。

そして、それは不快な事が目立つ故に、達成は難しいですが、不可能でもないと思います。

住み分けと理解、そして拒絶しないそれぞれの楽しさの提示と共感、そのような塔が皆の集まる場所になるかどうかは、それを作り上げる人達全てにかかっているのでしょう。*2

*1:皆が多用するようなという意味でですが

*2:現実的に難しいですが、だからといってそれを否定する理由にもならないかなとも思います。まぁ、喧嘩せず仲良く、うまく住み分ければ楽しいんじゃないかなと思いますが、現実は厳しいですけれども、どうしても相手を傷つける言葉の方が人の印象に残りやすいのです。故に、ネットには売り言葉に買い言葉、連鎖反応でそのような言葉ばかり見かける事になってしまうのかもしれませんね。