ジークス島戦記ロストクロニクル

最近は軍事や時事関連多いですが、別の世界線の話と言うことになってるので本気になさらず(念のため ※TRPG用資料で判定処理の為)

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  ジークス島戦記ロストクロニクルって?

 SOS2(スクリプトオブサーガ)というブラウザRPGを、『時間が合わない、時間が取れない、メンバーがいない』等、TRPGを遊ぶになかなか条件がそろわない人、そして、TRPGって何?という方まで、

『冒険者になりきって冒険世界を楽しもう!』という趣旨で展開されるファンタジーRPGシステムです。 ALFRED-SYSTEM自体は、その時代の可能なメディアでファンタジー世界を構築して楽しもうという趣旨で運営されるゲームシステムです。  ジークス島戦記自体は、多くの媒体で遊ばれましたが、CGIで運営されるのが、ロストクロニクルとなります。

参加料金はありません、『他の参加者と協調して楽しむ事ができる事が参加資格』、
趣味で運営しておりますので、同じ卓に集まった仲間とわいわいやれる場所を提供できればいいなと思っております。

もちろん、遊ぶにはお互いが楽しむ為の礼儀やマナーは身につけてね? ジークス島戦記ロストクロニクル

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テーブルトークRPGの価値と評価

自分の好きなものは特別であって欲しいと思う場合もあるし、逆に自分が好きなものが否定されたり批判されれば面白くない場合もあるかもしれない。
基本的にトラブルを避ける為には反応せずスルーするのが無難な対応なのでしょうが*1、TRPGも遊ぶための道具の一つとして、沢山のゲームのひとつ、後は集まった仲間や遊びたい人が共通のコンセンサス・すり合わせを行い楽しめればどのような形でも構わないと思います。

ですが、同時にどのような遊びでも繰り返されたものには愛着や当事者間の共通認識も生まれます、ですが楽しまれたものが自分達に価値や楽しめるものであっても、それが万人に共通のものであると誤認したり、それが望ましい楽しみ方であるように発言した瞬間、他の遊び方をしている人を否定したり、間違っていると捉えられ、同時に「自分の遊び方を否定するその発言をする人自体を否定」する状況にもなりかねません。

遊び方は人それぞれ、故に遊ぶ前にそれを確認してすり合わせる必要があります、ボードゲームや他のゲームではある程度ルールは統一されていますが、それでもオプションルールやその地方ルールなどを当事者間で作られているものも多数ありそれを説明なく始めれば当然トラブルが起きます。

個々のプレイヤーもマスター側も遊ぶ上の抱いている成功イメージや遊びたい部分を持っています、何故遊ぶのか、遊びたいのか、どのように遊びたいのか、その形が他のゲームより自由度が高い為に、事前にその部分をすり合わせて置かないとその部分での躓きも生じます。

*2


喩えを使うと誤解も生じますが当事者間でのみ判る特殊な言葉のようなもの、故にその言葉がわからない他の人達は理解できない言葉を使う人達を異質な言葉を使う者達として不審に思います。
知名度という部分にも由来しますが、「理解できない未知の物に対して人は不安や恐れを感じる」心理もあります。

多くのTRPGを知らない人達にとっては、謎の言葉を話す連中と、異質な目で見られます。もし知名度が高くTRPG自体が認知度が高ければ、英語を話す相手のようにとりあえず話しは通じないけど、「認識できる相手」程度には扱ってもらえます。
ただ、それでも通じない相手ですので避けられたり、拒絶されたりする事もありえます。
が、TRPGにそれ程の認知度や知名度はないのが現実でしょう。

TRPGを知らない人達には、まるでどこかの地方部族が集まって楽しそうに、謎の言葉を話し、奇声をあげ、時に笑い、時に喧嘩をする近づきたくない集団に映るかもしれません。

英語が理解できるのは学校で学んだり必要があるから調べたり身近にあるからかもしれませんが、TRPGは接する機会は周囲にそれを楽しむ人がいなければ接する機会はありません。

もし、外人が楽しそうに何かをしていたりすれば、それが何か知りたくなったり、またコミュニケーションが取れ新たな知識を学んだり交流できれば、自分の思いを伝え双方が理解できるという感覚は多くの新たな楽しさを生みます。

もしTRPGを当事者だけに通じる言語であるならば、そこには沢山のルールという形で言語があり、そして、幾つかの地方言語やスラングにあふれています。
とりあえず言葉は通じるのだけれども些細な、あるいは大きな部分で伝わらない、理解されないもどかしさも同じ言葉を使っていても相手によってはありえます。
伝わらない部分を補い、あるいはそのような地方の使い方の格差を認めあい学び、あるいは相手に伝わるようにあわせる事で円滑な会話を図るようにしたほうが意志は伝わる筈です。
もし、自分の言葉だけを話、相手に伝わっていないままにその言葉を話し続けるならば、多くの場合に伝わらない故の問題となります。
同時に同じ地方言語を使う限りそれは気付きませんし、問題があることすら感じません。
一度、別の場所に赴いた瞬間それはトラブルとなります。

貴方は何言語を話し、そしてどれくらいの地方訛りがある場所にいるのでしょうか?
通訳が出来るほど堪能な方もいれば、その地方から出ない人もいます、そして地方から出なくても問題なく生活でき楽しむ事が出来ます。
同時にそれが地方訛りがある事に気づいていない事もありえます。
いろんな地方の言葉があるからといってそれを笑ったり、交流を拒絶すればコミュニケーションは取れません、それぞれの地方の言葉を自分が理解できないからと否定すれば大問題に発展しかねません。

喩えから戻しますが、それぞれの遊び方は自由ですが、一度それを相手に強要するときトラブルとなります、事前に共通認識とすりあわせ、認識の違いを認め合う姿勢は必要かもしれません。
そして歩み寄らなければ会話は成り立ちませんし、自分の遊び方に固執した時、多くのトラブルを生みます。
共通認識が成り立っている場所ではその配慮は殆ど要りませんが、別の場所、別の遊び方をしている相手も居ることを忘れる時、多くの通じない故のトラブルやストレスを感じる事になります。

自分は標準語を使っていると思っている場合ほど、実は相手に伝わっていなかったりする場合もありえますのでご注意を。

過去にもいろいろ皆、考えているんだなぁ・・・ - ジークス島戦記ロストクロニクル


*3

*1:トラブルを拡大させない意味では、でも、なかなか黙っていられないのでついつい反論してしまいたくなるものですが、状況と場所によってはぐだぐだになる引き金となったりもしますね、口や発信は災いの元、だけれども自分の発信を意図と違って捉えられたと思ったら黙っていられないものだったりもします

*2:もしかすると、新メンバーのゲームは、飛行機を飛ばす時のフライトチェックリストくらいにすりあわせ(安全確認)が必要なのかもしれません。それくらい複雑な選択が出来るのか共通認識のチェックが重要かつ難しいのかは、人がミスをするように多くのトラブルが人が関与する故に起こる可能性が常にあるようなものかもしれません。 怠ると重大事故になりますし

*3:余談ですが、北海道はその入植の経緯から非常に多くの地方言語が入り込みつつ標準語に近い流れになっていますが、同時に多くの浜言葉や場所によっては地名にアイヌ語が取り入れられた地名にアイヌ語の発音を当てた地域名も多数あります、ゴミを捨てる事を、「なげる」と一般的に北海道では使いますが、もし、これを他の地方で使えば、笑われたりからかわれたりする事になります。(ゴミ箱を投げ捨てる冗談をされたりします) 地域、地方毎の言葉の格差やその地域でしか通用しない言葉、場所によっては、まったく他の場所から来た人には理解できない地方訛りもあります。 お互いが言葉を合わせるか理解しようとしない限り会話は成り立ちません。 会話を必要とする為に学んだりすることになりますが、時にそれが面倒や伝わらない故の煩わしさを感じる事になるかもしれません。 標準語が正しいかはともかく伝える為のひとつの方法です、ですが、標準語を万人のルールとして強要する時、多くの地方居住者は居心地の悪い思いをする事になるかもしれません。 郷に入れば郷に従え、その場所の空気を読む。 地方へ移転するとその地域慣習の違いに驚き戸惑いますが、慣れる場合も、耐えられない場合もあります、更に余談ですが、北海道地方限定で先行発売投入してみるという意味には、北海道で当たれば全国で当たる可能性が高いというリサーチの意味もあります。今ではその意味合いも薄れたかもしれませんが、日本全国のサンプルデータを取りやすい地方であるという事は昔は言えたのかもしれません。(本件とはあまり関係のない話ですし世代を経た今ではその意味があるかどうかはなんとも言えませんが)文字通り、試される大地だったりしたのです。