それがわかっているだけに、キャラクターにやたらと華燭設定をするキャラを見ると、『この設定達成するのにx年はかかるな、却下』『周囲とバランス取れない、却下』と瞬時に取捨選択してしまう自分がいます。
実際、ジークス世界を知らないで登録する設定はほぼ、無茶な事が多く、あまりに不許可が多すぎて初期登録時の設定希望は一律不可になってしまった程です。
ルールやガイドを読めばどれだけ設定を実現するのが大変な内容を気軽に登録したのか理解できる筈なのですが・・。
皆、どうせやるなら英雄という気持ちはわかります、責任とらなくていいならやりたいですよね。
それはおいといて。
ロールプレイで気づいた事は、言葉の重みとそれをどの程度把握しているかの格差です。
キャラとして実際に子供を失った者の言葉は重いです。
設定として子供をなくしたと書き込んだ者と、実際にキャラクターが子供を生み、それを失った者との言葉の差、それを見たとき、実際に演じる時の気持ちのかけ方、思考の違い、そしてその言葉の重さの違いはあまりに大きいと感じました。
ロールプレイ、感情移入を見るとき、設定で何かを求めようとする人を忌諱してしまうのは、その設定を本当に演じてもらえるのか?というのを密かに疑ってしまうのかもしれません。
ですから、実際にその境遇に置き、そしてどう演じるのか見てみたい、そしてそこで行動した故に出来上がった設定や状況はその人の本当のロールプレイの結果で作られた背景だとも思います。
願ってその状況にシュチュエーションが来るような事はまずないので、自分の望んだ設定はまずできないのですけどね。
一平民が貴族にのし上がるなんて夢物語だし、それができるのはそれだけのし上がるだけの運と行動力と思考を持てる人物だけです。
そして、そこまでできる人物は設定など、敢えてつけようとしたりしないのです。
なぜなら、自分の実力でそこまでのし上がる才覚と演技をできる事を自分で知っているから、そのような小手先の演出をする必要がない。
いつも思うのは設定にはデメリット8でメリット2 の状態で敢えて選ぶようなバランスにしておかないと数値の有利さで選ぶ設定は、演じきれる事は少ない。
ということです。
どのような状況でもその華麗さの裏には他よりもぬきんでるだけの実力があってそうなったという裏付けがなければ、他参加者は納得できないでしょう。
もしくは、不相応の采配と力を持ったときの行く末は周囲を不幸にするだけなのかもしれません。