https://www.sankei.com/article/20231206-B4ZJF6V26VKP3OL4TB6DYDGZUM/
生き残って幸せになって良いのか?
犠牲者が生き残った事に罪悪感を感じることは、戦時下、終戦時に起きたことがあります。
戦友が皆死んで何故自分は今生きているのか?
事件は戦争ではありません、しかし、36名の未来が奪われた事実はもう変えることが出来ません。
我々はどうこの事実を受け止めるべきなのでしょうか?
幾つかの選択肢の選択によってはこの惨事を避けることが出来たのか?
永遠にその答えを時を戻して試すことは出来ません。
この事件によってガソリンの扱いはより厳しくなり建前では同じ次事件が起きる確率は減ることになります。
自分の好きな素晴らしい作品を作っていたクリエイターがこのような事件で命を断たれてしまう事は信じられませんが事実です。
裁判は罪の重さを決める事でもありますが、日本の刑法は『再犯や模倣犯を事件を知ることで対策を講じて防ぐ』という意味合いもあります。
最早や多くの貴重な人材は失われ替わりは利きません、失われた部分も既にあります。
ですが同時に二度とこのようなことが繰り返されない様に我々はどう防ぐのか知る必要があるのかも知れません。
多くの難題は山のようにありますが、その幾つかのきっかけを弾くことで犯罪が成立しない未来へ進んでほしいと切に願います。
外国人が犯罪を増加させている事を放置する社会を見ながら同時に思うことでもあります。
不幸になるひとが減る社会に本当になって欲しいものです。
今のままでは無理なのかも知れませんが…。