https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89899?page=1&imp=0
どんな努力や達成した偉業も、評価が変われば罵倒される悲劇
勝てば官軍、負けない戦いをしないとならない現実が心情や正義の前に現実としてあります。
ただ、それを逆に捉えれば、『勝利すれば、どんな原爆で焼き殺しても、わざと逃げることが出来ないように周囲を先に爆撃して火の手で逃げ道を塞いでから、大空襲をしてもそれは戦争として肯定される』という、あまり声を大にして言えない事実もあります。
だからといって中国の行っている虐殺が肯定されなくても誰も止めることが出来ない現実もあります。
何が正しく何が間違っているのか、戦争はより多くを殺した事が称賛される異常事態です、異常事態を平時を生きているものが評価することは間違っていないにしろ、当時の現実に則していません。
立場、追い込まれた状況で人は選択肢を失い狭められます。
中国も大日本帝国もまたそのような道を辿りましたが、同様に周辺国家も巻き込まれる事になります。
その時、どう虐殺されるまでの選択をするのか、それが自分達に選ぶことの出来る自由とならないように我々は生きていかねば、恐らくは選択の誤りによって滅ぶことになるかもしれません。
戦争後半、首脳部は戦争は負けるとしても少しでも長く自分の権力が維持できることだけを画策していた人達が首脳部には多くいました。
会社が倒産するのに最後まで派閥争いするようなものです。
陸軍、海軍の対立は最後まで続き、敗戦を認める事が出来ずに玉音放送まで奪おうとしたのが、我々の首脳陣にはDNAとして脈々として引き継がれています。
政治の怠惰さは弱いものから順に振りかかります。
負けない戦いの答えは簡単な物ではありません。
あったら苦労しませんけどね。
言えることは簡単に人は楽な方へ流れると言うことです。
歴史はその繰り返しと言えるかもしれません。