あくまで個人的感想という事で映画に対する感想は人それぞれという事を念を押したうえで…。
シン・ゴジラが、北朝鮮がミサイルを撃って、日本上空を飛び越え、そのうち日本にも間違って落ちてどこかが焦土となりそうな今日この頃、シン・ゴジラは天災・あるいは災害や戦争に対する、官僚のできる精一杯の姿じゃないのかなと思う今日この頃だったりします。
勿論、そういう意図で描いたかどうかはわかりませんが、今回のゴジラは政府側の人々がゴジラに対して悩みつつ果敢に戦っていてかっこいい、前例のない事に対する対応について、行動決済能力がほぼゼロの日本の官僚にありがちの思考停止にならない精一杯の最善策を取ろうと頑張る官僚の姿がかっこいいのです。
…ですが、実際にミサイルが飛んできて実際にできる事と現場の混乱はご覧の通りです。
それは前例のないことに対して、いかにリーダーシップをとることが難しい(責任を取る事が難しい)かを示しています。
旧大日本帝国以降、日本は本土爆撃を受けた経験がなく、前例は、前大戦の大日本帝国時代以降ありません。*1
それ故に、いざ、戦争となれば、多くの制約もあるゆえに、普通領土にミサイルが着弾すれば宣戦布告と受け取るべき状況で、それでも、甚だ遺憾の意を表すという状況で、国民に死傷者が出たとき、果たしてどのような対応がとれるのか、そもそも、平和憲法でどこまで行動と自国を守れるのか、非常に難しい問題となっています。
核はそれを行使する場合、MAD(相互確証破壊)を起こすため、威嚇においてのみ運用可能な兵器ですが、実際に使用する可能性は否定できません。
その上で、ゴジラのような天災と同じような局所的混乱を、ミサイルの着弾と見立てた場合、その過程に対して、理想的な官僚の対応姿勢を、映画のシン・ゴジラからは見たような気がします。
…現実にはそうならないでしょうが、少しでも誇りと理想をもって、困難に立ち向かって頂きたいというのは、都合の良い勝手な願いなんでしょうがそうあって欲しいものです。
…実際の所、それが限界であったとしても、可能な限り現場の方々は精一杯やっているとは思っていますが
ゴジラのような天災規模のミサイル着弾の場合、右往左往するだけなのか、それとも、きちんと知識をもって、天災と果敢に立ち向かうと迷惑なので粛々と避難をできるかどうか、震災の時同様、それだけの国民の理性はあるのではと思いますが、同時に現場の混乱と苦悩は相当のものとなります、それぞれが最低限の避難対策と装備を整えておく事、事前の災害対策のシミュレーションをしておくべきと、Jアラートが鳴って途方に暮れた今日この頃、そう思ったのでした。
…日頃ある程度の想定はしていてこれですから、想定すらしてない人は、たぶんどうしようもなかったんだろうなとはほんと思いましたしね。
*1:その帝都大空襲『東京大空襲』時には、ご丁寧に周辺爆撃の延焼から逃げ場を失った状態に追い込んでからの爆撃という念の入れようでした、当時いかに、日本人をアメリカ人が民間人に対しても、理解不能な人間ではなく、危険な害虫とみなしていた事がわかるエピソードです、まぁ、そうでなければ、長崎・広島に原爆を落としたりはしませんが… 人は戦争になればそこまでできるという証左と言えましょう つまりは、陣営・思想・利益が変われば、そのような事も起こりうるということです。アメリカを全面信用するのではなく、立場・利益としての同盟である点は忘れてはいけません。 同時に、日本が周辺国家にしたことも同様ですが、なので、状況によってはアメリカは最後の最後で、梯子を外すという選択がありうる事も忘れてはいけないと思います、どの状況でも絶対の同盟はないのですから ※ただ、それをやると、アメリカの立場と地位、日本の戦略的位置を失うので、中国が北朝鮮を失うのと同様の地域リスクを負うので、現状では考えにくいですが、中国と話がついた上での事であれば、その限りではありません