http://www.asahi.com/national/update/0804/TKY201208040635.html?tr=pc
いくら紛争地帯(ふんそうちたい)でも、年間3万人も死ぬことはそんなにありません。でも、日本ではそれくらいの人々が自殺しています。そう、この国は形を変えた戦場なんです。戦場では子どもも人を殺します。しかも、時には大人より残酷になる。
今回の自殺の件については、様々な方が様々な視点で発信しています、ただ、思うことはこれが一過性で終わってしまうだけのものに多くの人がしてしまうのではないかという点です
加害者・被害者の関係者共に時と共に忘れ去られ、忘れようとしていく点
けれど、自殺してしまえばそこで本人の選択肢は失われてしまいます。
日本の刑法は、加害者優遇でできています、これは加害者の更正と効率の問題を兼ね合わせています。
つまり、言い方は悪いですが被害者は殺され損の仕組みとなっており、他の犯罪含めて、自衛する事が求められる社会です。*1
しかし、その事を国は公には認めないでしょうし、教育者が教えてもくれません。
また、子供が正しく相談できる仕組みも親からのアプローチもその状況が改善を阻んでしまいます。
世情を見る限り社会に出ればもっと辛い出来事が待っているかもしれませんが、それでもその選択を選ぶための様々な生き抜き方を今こそ本当は教えなければいけないのかもしれません。
お金や政治、未来について、未来の有権者として正しく判断すべき指針となるべきものは国にとって都合の悪いものは皆、きちんと教えてくれないように思います。
紛争地帯より過酷な国で子供の頃から生き残る術を身に付けさせる事を親は本当に考えなければならない国なのかもしれません。
…いついかなる時に銃の乱射に巻き込まれて死ぬという確率が低い事だけはマシなのかもしれませんが…その平和はあっても別の危険をこの国は持っている事は子供のうちから理解する必要がありそうです。
銃弾が飛んでこないその価値や意味を日本人は水や空気同様、あまり意識はしていないとは思いますが…
*1:少年法の問題、加害者優遇の問題の最たる例は、コンクリート詰め殺人事件を含め、刑罰に限界があるという部分、犯罪抑止、犯罪を自白させやすくする点での刑罰設定、自首することによる刑の軽減による自白誘導等の利点からの運用という見方もできます。決して被害者と被害者周囲の心情や保護の観点だけを全面的に考慮したものではありません、国と社会が機能する為に国民が皆犯罪にメリットを感じない範囲での刑罰の落としどころの設定ということに過ぎません、国家の運営に支障をきたさないための警察機構が存在するのであって、国民の個々の安全が保証されているものではありません。同時に、これは警察機能の世界と比べての優秀さを意味する部分と限界とも言えます、日本は現状、犯罪を犯すよことのメリットよりも、犯して捕まる際のリスクの方が遥かに高い為、犯罪率は世界と比べて低いですが、低いだけであって犯罪検挙率は下がっていますし、犯罪に遭う確率は自分の行動次第で変わってくるにしろ、完全に防げるものでもありません