親戚の子供の仕草や子供のやんちゃや我侭を見るとき、その対応に自分達がしてもらった時の事を重ねます。
そして、その時、初めて気付きます。
あの時、自分達にしてくれた親や祖父母達の気持ちや親戚達の気持ちや気遣いや優しさがようやく受け取る側から与える側としてその気持ちが理解できるようになります。
叱ること、褒める事、諭すこと、伝えること。
子を持ち親となった人達が成長し大人に見えるのは、そういう大人の気持ちを知る事が、自分にされていた事の本当の意味が見えるようになるからかもしれません。
人の痛みや辛さ、そして優しさは勿論相手から伝わりますが、本当に理解できるのはその相手と同じ立場に立ったときなのかもしれません。
厳しさの中にある本当の優しさって、気付くのはずっと先なのかもしれないなと、ふと、思い出すことになったのでした。
出来れば、それを相手に直接口に出してお礼が言えるうちに気付けたらいいなとも思います。
きっと、子供のうち、叱られる側のうちはこの気持ちには気付けなかったとも思うので。
気付くのはずっと先になっちゃうのかも知れません。
昔、贈られた優しさや想いに気付けているでしょうか? 感謝の気持ちは、もし伝えられるなら存命中に伝えたいものです。
追伸:母の日は、今年は5月14日です。
感謝の気持ち、伝えてみませんか?