フリーライド(ただ乗り)という考え方とそれを行う人(フリーライダー)というのは公共財の利用などについてその公共性の悪用する人という部分をさすようです。
※はてなの解説としては、フリーライダーの部分をクリックすると解説されます。
http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/game_free_rider.html
公共性のフリーライドという考え方は、考え方としては個人としては効率の良い行動ではあります。*1
社会生活の中ではフリーライドの部分が当然周囲の負担が増す為、それに気付くこと指摘することが公正な社会生活運営上必要となる部分もあるようです。
http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/game_kyoyu.html
現状のシステムに当てはめる場合、『参加者全員が冒険者を演じる事で作る冒険世界の雰囲気を演出する』趣旨の中で、過度にゲーム性を追求し無言戦闘や無言購入をしつつ相手や周囲が形作る冒険世界自体は享受する。
そんなところでしょうか・・。
只、細かい部分をプレイヤー同士で指摘し合うとその部分が不協和音になるのでその辺りを我慢してしまう辺りが、対策コストの負担コストとのジレンマかもしれませんね。
只、この部分は指摘することで起こるトラブルや費用コストが大きい部分を如何にスムーズに解決するかという部分がより求められる事項のようにも思います。
是正する事は必要であり黙認する事は他の参加者の不満感の増大にもつながります、ある程度は対策をしているつもりですが、指摘のしすぎもまた『システム自体の破壊』を招くところが悩ましい問題かもしれません。
同時に最も効率の大きい方法を人間性を無視して投入すると最大効率で出来る筈であった計画は個々の軋轢によって磨耗し本来の目標自体を達成できなくなる場合もある為、人間が間に入るシステムには揺らぎと緩衝部分を講じておく必要もまたあります。
*1:全体としては他人に負担を強いるけど、確信犯的に考えるとフリーライド対策コストがフリーライドへの負担分よりも高くなる場合により対策しにくい状況を生むのかもしれませんね。