『犬にとって人間は「エルフ」。500年以上の寿命を持つ』から始まるフェイスブックで流れる英語コピペ文の和訳が泣かせる - Togetter
多くの作家や表現者が晩年に描く作品は永遠や不死のテーマを自分なりの形で表現する事が多かったりする。
が…それ以前にペット持ちにはこれは琴線振れちゃうだろ、やっぱり。
エルフの視点と人間の視点と犬の視点 それぞれが向き合う先に何が映っているのだろう。
ハイエルフは設定上、ほぼ永遠の寿命を持つが、そのハイエルフの寿命と老いというテーマに持ってくる話はあまりなかったように記憶する。
描かれる多くの話はハイエルフが見守る常命の者達の物語…でも、そのハイエルフもまた老いていくんだったな
そろそろ永遠に続く未来ではなく、いつか訪れる終末としての未来を感じつつ描くようになってくると
見えてくるものも変わってくるのだろうか?
エルフを演じる事も多かったが、ちょっといろいろ考えさせられるおはなし。
こっからは脱線
人生が永遠ではなく、限りあるそして、突然に失われるものである事を、人は近隣者の死をもって再確認する。
それがペットの死であったり、年長者の死であったり、受け入れるにはそれなりの時間と自分の心との折り合いが必要となる。
昔書いたことがあったが、今は失われてしまったログの中に、祖父の言葉がある。
「人は長く生きてくると、死を受け入れられるようになるものなんじゃよ」
それなりに生きてきたが、今だその境地には至れない…が、その言葉はいずれ来るであろう死に対して、ほんの少しだけ消滅という事に対してのなんらかの覚悟と受け入れる気持ちを持たせてくれたように思う。
…そして死後があるにしろ、ないにしろ、この世に何を残すのか、人は一つ目の死として肉体が消滅し、二つ目の死として全ての人達からの記憶からの消失をもってこの世からの死となる。
故に、この物語の本当の消失は、このブログが消え、多くの人達の冒険の記憶が、それぞれの冒険者から消え去った時に消失するものだとも思っている。
故に多くの作家の名著が蔵書として残っている限り、その者たちはイモータルである。*1
願わくばその末席に至らずとも、デミゴットとしてはこの世に残りたいものだが、まぁ、そううまくはいくまいだろうな…けれど、僅かな時間なりとも冒険世界を共有できた戦友達の記憶をヴァルハラに持ち込んでやるつもりではいる。
多くの冒険と様々な思いを覚えていてくれる人が一人くらいはいてやらないと、数千名の冒険者の思いがただ消え去るのだけなんてちょっと寂しいじゃないか、そう思いつつ冒険の記録を編纂している今日この頃であったりする。
終末なにしてますか? あなたの冒険の記憶を覚えていてもいいですか?
…人間達の冒険の編纂をする役目のエルフの終末とはどのようなものとなるのだろうか?
多くの者にとってはただの記録の羅列、でもそこには時間を共有した戦友が確かにいたのだ。
いずれそれは冒険譚から英雄譚となり伝説となり、時が許す限り碑文に残されそこにあり続ける。
*1:その蔵書の中身と価値はこの際おいておくとして