人は心理的に、かかったリスクとリターンは比例すると思いがちなので
『良薬は口に苦し』で、苦労したものほど達成感と成果は貴重なものであると思いがちですが、世の中そんな甘くもうまくもできていないので、苦労しなくても辛くなくても成果が得られたり、苦労しまくっても成果がまったく出なかったりします。
特に日本の生産性は、『苦労するのに対価があまりに低すぎる』とよく言われる話です
日本の特殊性、ファクターXの解析も進んでいるようですし、ある程度日本人は特殊性がありそうです。
まぁ、海藻消化できるような酵素もってる、外国人とは別の食環境、納豆みたいな発酵食品食べまくってるかなり変わった食文化の島国住人なので、何か違う要素は体に持っていても不思議ではないですが…(だからそれがどう影響するかはともかくとして)
…さて、脱線しましたが、副反応が重いから、抗体がしっかりできるというわけではなく、『まさしく人によるので』副反応が重いほど、自分は抗体がしっかりできたなどと思わないように、同時に副反応がないから効いてないわけでもありません。
同時に効果が薄い人も、三回目が副反応が重くなる人が多いというデータも出ています。
はてさて、どういう事なのでしょうかね?
ただ、これを統計から当てはめるなら、『あまりにも感染力が高い為に、一定数は重症化を避けられない、その分は病院を母数が広まる程顕著に表れる』という答えが当然導き出されます。
急激な感染拡大を防ぎ、被害をどうすれば最小限に抑えてこの感染を乗り切るのか?
K防疫のように、完全隔離を目指して逆に集団免疫の獲得に失敗したのではないか?という適切なワクチン接種を行えなかったことによる防壁の構築の失敗など、他国の実施例から学ぶ要素もあるかもしれません。
どちらにしろ、管理された最小限の蔓延、ワクチン接種、その有効性の検証を集団免疫の確立は果たして可能なのか? 日本人の特性はオミクロン株とどのような対策が果たして有効なのか? 未知数な要素がまだ多いと言えるでしょう。
現時点で予測できるのは、正月の帰省によるオミクロン株の感染拡大が日本全国に広まる事は避けられない為、それがどのように広がり、そしてそれを医療でケア、カバー、ワクチンで抑える事が出来るのか、このバランスが被害を他国と違ったものにできるかどうかの要素となってくるのかもしれません。
最早、市内感染が始まった以上、感染拡大は止められません。
では、それをどのように抑えて年末の移動での拡散を小さくするか、それによる全国伝播を制御するか、いうのは簡単ですが、どの政権もこれを失敗させるどころか、中国ウエルカム、Gotoで拡大させるという政策に舵を切りましたから、それだけの人命をデルタ株で死亡者を出しても責任の所在はまったく追及される事はないでしょう。
まぁ、庶民の人命は結果論でもっと救えたかもしれませんし、今以上に政策の失敗で死亡者が出たのを回避したかもしれません、ですから、『If』を求める事は正しくないのかもしれません。
結局は、政治の無能さは自分達の行動でカバーしないと犠牲者になっても何も良い事はないという事です。
自衛は大切ですので、これまで以上に、感染対策はしっかりと行うしかありません。
それが未来の誰かの感染を防ぐ事である事に間違いはありません。