コンシューマソフトは、ラスボスを足すことで平和になったでハッピーエンドになる事が殆ど。*1あるいは続編が出ると新たなボスや、平和を破る存在が出現してくるのだが・・。
諸悪の権化を倒した場合、それで平和になる場合もあるが、できれば諸悪の権化を倒した後のこともできれば勇者には面倒を見て欲しい。
(勿論、そういう地味なことはあんまり喜んでもらえないからはしょるのだろうけれども)
結構、ラスボスなりを倒す場合に達成感を出すのではなく、考えさせる事が私は多いような気がする。
ラスボスなり諸悪の権化が何故、そうならざる終えなかったか、そして、それには明確な理由があり、勧善懲悪である事が殆どないからだ。
同時に、プレイヤーにはハッピーエンドとはちょっと違った微妙な感覚を感じることが多いようだ。
『託された、あるいは奪い取った者がもつ、責任とそして権力』である。
それを誰かに預けるでもいい、自分が王様でもいい。
そして、その成果は、少なくとも諸悪の権化よりはマシな政策でなければならない。
・・・なぜなら、そうできない場合、新たな勇者が新しい魔王と呼ばれる存在になるのだから・・。
そして、いつしか君を英雄と称えた市民達がいかに自分勝手でそして自らの幸せを念頭においているか知る事になる。
大量に残された課題と復興処理、敗残兵や巣食った魔物の討伐、復興を急げば以前よりの重税に市民をさらし、下げれば国庫はからになり、諸侯の不平不満から反乱が起こる。
ラスボスを倒せる勇者が、国を治める能力まで持っているかどうかは未知数である。
そして、再び新たな魔王を倒そうとやってきた勇者に、魔王と呼ばれた元勇者は尋ねるのである。
変わりにこの世界を治めてはくれないかと? 残務処理をできない勇者は最強最弱の魔王となってしまうかもしれない。
多くの英雄が魔王を倒した後、密かに城を去るのは実は、王になろうと意気込んで帰ってきたらその実情に逃げ出してしまった姿なのかもしれない。
皮算用もいけないが、魔王を倒したらその後、世の中がどうなるかくらいの計画性をもって魔王を倒して欲しいものである。
・・・ご利用は、計画的にお願いしたい。
*1:現実問題として、ハッピーエンドにならないと、お話が終わらない為さらに話を続けないとならないので現実問題としてそんな事は次回作でやるのだろう、前半がRPGで後半が経営シュミレーションのゲームが売れるかどうかはまた別の話ではある