http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5903129.html
歴史上の人物はしばしば求める英雄像やその配役にふさわしい偶像(アイドル)を求められる。
そう振る舞ってる人もいれば、結果的に適した人物だから評価されて歴史に残る場合もある。
大抵は都合の悪い美談は誰も必要ないので描かれないし、役職に必要な姿が描かれる。
スピーチできない皇太子とかは、都合が悪いのであんまり表舞台には出てこなかったりと
同時に殆んどの場合、完全な悪人というのは存在しにくいが、同時に同じ環境で慣らしていくと人はどんな悪事でも日常的にこなしてしまう。
『戦争だから』で、虐殺も強姦も妊婦の腹を裂いて喜んでみたり、幼児まで襲いかかったりと当時の治療を行った医師の記録が残ってる。
ベルリン崩壊時のロシア兵の蛮行は、ウクライナの現在の必死の抵抗に通じるものはあるだろう。
戦争には都合の悪い事は描かれず、利用できるものは吹聴される。
つまりは描かれない悲劇が戦争に巻き込まれた犠牲者の数だけあってそれは敗戦時には封印される。
弱いものが犠牲になるからこそ戦争は自分が弱いものだからこそ否定するものでもある。
例えば奴隷制度は多くの問題も虐げられる者が産み出される制度だったが、使役する側には多くのメリットがあったゆえにアメリカでの奴隷解放運動まで、普通に存在していた。
同様に戦争の普通になれている兵士の日常は、平時とは比べ物にならない凄惨な物となる。
これを忘れると敵の民衆はウクライナのように『合法的に間違って虐殺されることになります』
※民間人の無差別攻撃は軍事上でも非戦闘員への攻撃で非難されます、しかし、民兵は戦闘員として戦闘に参加します。
参加する以上戦死する為、民間人と民兵は明確にわけなけれればなりませんが多くの場合、民兵との区別を付けることなく民兵として射殺する例が発生します。
善悪、正義は大変脆いものなので、既に第三次世界大戦に片足突っ込んでる世の中、常識と自分の命が一瞬で吹きとぶ時代に突入したことを忘れると、本当に第三次世界大戦の犠牲者となるかもしれません。
既に経済的には犠牲者と言えるかも知れませんが…。