MMOにも寿命があります、常にユーザーを留めておくには、その場所が常にその参加者にとって魅力ある場所であり続ける場所である必要があります。
MMO本体の寿命か、参加者個人の一MMOに対する寿命かはその状況によって違いますが、最終的には飽き− 得られる楽しさが求められなくなれば離れていくものです。
企業はそれを出来るだけ長く遅延させる為に様々な試行や機能追加、要望に答えていきます。
しかし物理的な制約がある限り、限界が訪れます。
ジークスがそれ以上拡張*1できなくなった時に訪れる飽きによる魅力を失う時が、本体としての寿命ではないかとも思っています。
ただ、それ以前に、個人としての飽きは来る…現状では環境変化による参加継続不能の方が多いかもしれません。*2
運営側が極大に安定を求める場合、システムの拡張を停止し、規約により、より不確定要素を絞り込む事で安定は増加します。
それは自由度を失い、参加者の魅力を低下させます。
自由度が高まればそれは選択肢の増大となり、参加者間のそれぞれの許容度の違いから不満が生じます、これには参加者の許容度の拡大を求める事で対応できなくもないですが、自分の視野を広げ、受け入れる幅を広げる事は、自ら選択するものであって強制すべきものではないとも思います。
可能な限りの参加者の要望を受け入れようとしたとき、そこには常に矛盾が生じます。
誰かの要望は誰かの不満に繋がる事は多く、参加者が望むものは管理者の負担となるものもあります。
第一期の反省から第二期は情報の管理徹底と第一期でのトラブルを規約で縛るという規制で対応してきました。
かねてからそれによる息苦しさは当然予測していましたが、同時に大量参加者の対応という部分から1GMで対処できる幅へ絞り込む必要からもその選択をしたのですが…
第二期のフォローメンバーと各参加者の規約遵守と情報・交流の水面下による他人の交流データを見れない事によるトラブル回避と参加者同士の個々の交流が反映される仕組みはおおよそ運営の負担軽減へと繋がりました。
不快な行動も当事者間でのみ閲覧される事で、その時点で適切に回避・対応できる事は他参加者に自分周辺の対応に没頭できる事は非常に有効だとも言えます。
と、同時に逆に新人さんや新規参入の方にはその時間差と交流の知己の差が大きく行動の差に繋がる為、初期段階で、システムへの投入参加は疎外感が著しい事になるとも危惧していました。
同時にルールを読まず暴走する行動を直接接触させない意味合いからも、チュートリアルエリアの創設による、初心者同士の結束・交流による一人ではない結束感を持ち、そして、渡航後も仲間の存在から徐々に、より大きなコミュニティへと進んでいく足掛かりとなるようにチュートリアルエリアは設置されました。
このような展開も、最終的には参加者がより心理的に負担無く、複雑化・特殊化する参加者の要望に答えてゆくことをより行いやすくトラブルを同時に軽減させる為の試行です。
この多くはMMO自体で既に多くの場所で試されており、ジークスの多くのバランスはMMOでの利点や欠点を聞きかじって全体に合わせてアレンジしている部分もまた多いです。
システム的な制約はプログラム上必ずありますが、TRPGというシステムはGMと参加者の同意さえあれば*3自由に組み替える事ができる非常に柔軟な仕組みです。
プログラムで再現できない部分は、GMの演出と判定で行う、負担はありますが、プログラムで再現できない事は実際非常に多いとも言えます。
従来の仕組みに依存し続ける限り、いずれ限界は来ます、いずれはプログラム的な拡張の限界が来たとき、TRPG側の拡張がシステムの変化に対応する大きな部分となっていくかもしれません。
形を変えるとき、それは従来とは違う部分を持ち、それは従来の形を好んだ人には違和感や受け入れられない部分を生じるかもしれません、それは不満として生じます。
そして、同時に変化した部分を受け入れられる人と、新たな変化を好む人もまた生じるのかもしれません。
これまで、第二期は制限の方向で進んでいます、拡張と自由度の拡大に繋がる大きな変化は恐らく痛みを伴う事になるかもしれません。
それを行うべきか、同時にそれは現状の安定したトラブルの少ない状況から、変化と新しさという魅力と痛みを伴うものを受け入れるものになるのでしょうか?
その答えを選択すべきかどうか、それは参加者の要望にもよりますが、未だ答えを出せておりません。
まずは、プログラム的な拡張と、そのシステムで行える自由度の拡大を目指し、慣れと飽きからの停滞とは戦う事を現時点では方法としたいと思います。
あまり効果がなければ、参加者に問いかけてみたり試行するとは思いますけれども。
誰の為にあるのか? それは、管理者と参加者の為にその試行はあるのですから。