この日だからこれを書くべきか微妙なところだけれど、ちょっと気になった話を聞いたので、学校で一部時間的な都合で第二次世界大戦を学ぶ事無く授業が終わってしまう場合もあるらしい。*1
つーことは、日本とアメリカが昔、戦争をしていたことを、学校で習わないって事が現実にありえるのか、街頭のインタビューで真顔でそれを知らない子供の姿を単に授業を聞いてなかったのだろうなと思っていたけど、実際に知らない場合もあるようだ。
60年、記憶は薄れそれを実体験する人も少なくなっていく。
歴史は過去の記録ですが私達が記され見聞きするのはその記された表面部分、英雄や指導者が一人で何かをなしえたわけではないし、書かれた文字で綴られた部分では収まりきらない沢山の事実を我々は全て知っているわけでもありません。
歴史は過去の人々がその状況で選択してきた様々な出来事が綴られています。
歴史の中の文字はそれが起こった出来事を示しますが、それに至る記されない人々の出来事がその中には沢山含まれています。
決して誰か一人の行動だけが全てを決めているわけではありません。
故に歴史は繰り返します。
そして、歴史に記されない様々な出来事もまた歴史の記された文字の奥で行われていた事もまた沢山あり、その多くは我々は知りませんし、既に永遠に知る術を失われたものもあるでしょう。
我々は歴史から学ぶ事もできますが、歴史に書かれた部分以外の人達の多くの出来事も同時に起きていた事もまた事実です。
知る事の出来ない歴史から学ぶ事はできません。*2
そして、知る事、学ぶ事を忘れた時、歴史の出来事は新たな出来事として繰り返されるのかもしれません。
我々は知らない、そして知ろうとしていない、そして知ろうとしても既に失われていく事実もまたある事を、時の流れと共に忘れて行くのでしょうか?