子供を持つ方は当たり前に子供と接する時、視点を子供の目線に下げていると思いますが、子供の視点って、大人になって意外とその視点で物を見ることを失念しています。
貴方は子供を見て話すとき、大人が見下ろした視点で話している事を意識していますか?
そして、子供がその目線で物を見たとき、如何に大人よりも世界が広く物が高く見えるか、意識している人は少ないと思います。
子供の視点で物を見るとき、そして、大人が冒険心を失うのは、何か不思議な発見を『言葉で置き換えてしまうことをしてしまう時から』だとも思います。
子供はどんなものでも、興味を持って接し、そのものを感じ取ります。
ですが、大人はそれを、『言葉で名づけてしまい』、そこで思考停止してしまいます。
冒険心や興味、それを失うのは実は経験で発見や挑戦を止めてしまうときからです。
研究や探求は子供の心を忘れない人たちの領域でもあると思います。(勿論例外も、そして探究心を忘れた人とやりとりする事も身に付ける干渉役もまた必要でしょう、そして大人になっても子供心を忘れない大人は・・まぁ、あまりよく評価されないのも事実かもしれませんが・・)
同時に何時までも子供でも居られない事を大人は知っている為に、若さを羨むのかもしれませんね。*1
貴方は『虹』を見たとき、それを虹という言葉で置き換えてしまっていませんか?
忙しい大人は立ち止まって虹を眺めそれを心に刻み何かを感じ取る時間はありません。
ですが、子供はそれを不思議そうに眺め、そして、様々な興味とそして何かを連想するのかもしれません。
忘れてしまった子供心、大人はどこかに置いてきてしまったのかも知れませんね。
*1:年相応、これも常識の部類ですが、常に周りに合わせるなかでも、いい意味での子供心の探究心はあってもいいんじゃないかなと思います(笑) 極端な場合は社会に適応できませんが。