ジークス島戦記ロストクロニクル

最近は軍事や時事関連多いですが、別の世界線の話と言うことになってるので本気になさらず(念のため ※TRPG用資料で判定処理の為)

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  ジークス島戦記ロストクロニクルって?

 SOS2(スクリプトオブサーガ)というブラウザRPGを、『時間が合わない、時間が取れない、メンバーがいない』等、TRPGを遊ぶになかなか条件がそろわない人、そして、TRPGって何?という方まで、

『冒険者になりきって冒険世界を楽しもう!』という趣旨で展開されるファンタジーRPGシステムです。 ALFRED-SYSTEM自体は、その時代の可能なメディアでファンタジー世界を構築して楽しもうという趣旨で運営されるゲームシステムです。  ジークス島戦記自体は、多くの媒体で遊ばれましたが、CGIで運営されるのが、ロストクロニクルとなります。

参加料金はありません、『他の参加者と協調して楽しむ事ができる事が参加資格』、
趣味で運営しておりますので、同じ卓に集まった仲間とわいわいやれる場所を提供できればいいなと思っております。

もちろん、遊ぶにはお互いが楽しむ為の礼儀やマナーは身につけてね? ジークス島戦記ロストクロニクル

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コミュニケーションのエゴとの付き合い方

さぁて、この話題は言葉の選び方が難しいぞ。(ならやるな)
エゴイズムだと、自己中心的になるんだけど、エゴだと自我という言葉になるんだったかな?(間違っていたらすいません)

コミュニケーションを調べていて、そして、打算の上のコミュニケーションを見て、そして、読んで気になった話もあって『とりあえず現時点行き着いたこと』

やっぱり、みんな、自分が苦しいのは辛いんだよ? って話。

本音言っちゃうと自分が大切だし、自分が傷つけられるのは嫌だと思う。
極論すれば自分がよければ良くて、相手を大切にすることも相手を大切にすることが自分がそれを良いと認識しているからという指摘する人もいる。
殺人を犯したい人がいて、被害者は殺されたくない。 どちらも自分の意思を主張するけれど、双方は成り立たない。けれど主張しても尊重されないから実力行使に出る。
で、被害者が殺される。・・・では困るから、社会維持や運営に必要な形の罰則を作る。
これが社会運営の考え方かな? 
殺人を規制しないと社会運営が成り立たないので個々の主張ではなく、運営の為に罰則や規制が設置されます。

コミュニケーションは、双方を尊重して合意点を探さないと永遠に物別れになる。
そもそも合意点を求めていない人がいて、自分の主張を通さないと全て否定、話を聞かないという人もいる。

この場合、コミュニケーションには罰則はない。
あるのは、コミュニケーションがうまくいかない場合、可能であればその相手を避けるという事。
でも、どうしても避けられない場合、それでもコミュニケーションを取らないとならない状況になった場合、実力行使に出たり、その場は我慢して過ぎ去るの待つ(けど、気持ちは納まらない)、なんて事になる。
で、納まらない相手は、それを愚痴として発散したりする。*1

コミュニケーションをうまく行いたい為に、啓蒙したりしてみるけど、当の本人には伝わりにくい(自分を治せと言われてもそれに相手がメリットがなければ相手が折れる理由としては難しいし)
それぞれのエゴのぶつかり合いと回避と調整。

もし、罰則があり裁定者が存在すれば、速やかに排除か罰則を適用されるだろう。
排除か罰則を適用された相手は、その場所に残りたい場合はそれ以降は罰則ぎりぎりのラインを模索するようになると思う。
(もし、その場所に残る事を許されればだけれども)
*2

理想は相手への思いやりと配慮、そして、合意とすりあわせ。
そして、現実問題として、それがうまく行かなかった場合の、(罰則がないので)愚痴や批判となると思う。
同時に、愚痴や批判が出ると当時に、発信するとき自分だけを正当化するのもまずい。
発信するときは自分の意見として発信されるから、当然相手の意見はそこには存在していない事を想定して発信している人は少ないと思う。
*3
自分だけの意見が発信されるとき、当然鏡のように相手の意見も存在する。*4
ただ、相手の意見は発信されていないだけ、で、それが同じ場所に存在したとき・・・。

同じ愚痴を起こした状況が再現されるかもしれない。
でも、相手が同じ場所に上ってくるという事は、相手も意見発信の意思があるという事、その時、発信者がどのように対応を取るのか、それは覚悟しておいた方がいいと思う。

故に、多くの人は言葉を選ぶし、特定の状況を公開したりしない。
回りまわって、不快な状況を再び再現したいとは思わないし。
でも、自分の意思を告げることは必要なことと思う、後は、対象の相手が見る可能性をどう考えるかと、その相手と対話する意思を同時に持つことだと思う。
不快であっても告げなければ相手はわからないし、黙っていれば相手はそれで良いと理解している可能性はあるので告げないと修正のきっかけはないのも事実。
*5


今は、それが出来ないし、それをこの場所で私は試みる事が出来ません。
でも、その勇気と対話を持てる人がそれを試みるのは賞賛したいと思います。

その姿勢であれは多分、愚痴ではなく、コミュニケーションとしての対話の姿勢だと思うので・・。
毒を薬にするということはそういうことかなと思いました。*6

*7

*1:ただ、これも発信すればひとつのコミュニケーションとなるから、相手の反応も当然ある

*2:現実問題として報道なども名誉毀損で訴えられて負けまくってから少し以前より変わったらしい、だからメリットよりもデメリットが大きければ行わないし、メリットの方が大きければやり得という考えは存在する。

*3:相手の意見を想定して発信すると発信できなくなる事も多い

*4:場の裁定者にならねばならない時は、極力双方の意見を聞きます、でないと、双方の意見は多くの場合で食い違っています

*5:敢えて自分の嫌いな状況を公開して、それで相手と対話の姿勢を持つ人物を私は凄いと思う、敢えて自分が嫌いな状況を再現してそれで歩み寄ろうという姿勢を持てる人は多くはないから。

*6:敢えて自分の不快だったトラブルを出してそこから妥協点や直す部分を探るという考え方は有効だと思います、ただ、それが他人の批判で終了すれば、当人の責は? と、思う人も出るんじゃないかと・・・。

*7:こちらでは相手に迷惑をかけない配慮と表記しますが、本音には『最低限の迷惑はかかる部分を双方如何に対処するか』というものも本音には含まれます。 ただ、それを最初に書けば、『自分の都合のいい迷惑はかけてもいいんだ』と勘違いする部分もあると思っています。(自戒を込めて) 相手に迷惑をかけない配慮の気持ちで、相手との迷惑の度合いを調整する。 かけてしまったら終わりなのではありません、如何に折り合いをつけるか、そしてその為に、気持ちよく双方が対応できるための配慮に気を使うなのかな?とも思います。(未だ出来ているとはいえませんが)