ジークス島戦記ロストクロニクル

最近は軍事や時事関連多いですが、別の世界線の話と言うことになってるので本気になさらず(念のため ※TRPG用資料で判定処理の為)

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  ジークス島戦記ロストクロニクルって?

 SOS2(スクリプトオブサーガ)というブラウザRPGを、『時間が合わない、時間が取れない、メンバーがいない』等、TRPGを遊ぶになかなか条件がそろわない人、そして、TRPGって何?という方まで、

『冒険者になりきって冒険世界を楽しもう!』という趣旨で展開されるファンタジーRPGシステムです。 ALFRED-SYSTEM自体は、その時代の可能なメディアでファンタジー世界を構築して楽しもうという趣旨で運営されるゲームシステムです。  ジークス島戦記自体は、多くの媒体で遊ばれましたが、CGIで運営されるのが、ロストクロニクルとなります。

参加料金はありません、『他の参加者と協調して楽しむ事ができる事が参加資格』、
趣味で運営しておりますので、同じ卓に集まった仲間とわいわいやれる場所を提供できればいいなと思っております。

もちろん、遊ぶにはお互いが楽しむ為の礼儀やマナーは身につけてね? ジークス島戦記ロストクロニクル

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能力値、成功率至上主義がどこまで楽しいか。

成長という楽しみがRPGにはある(TもCも含めて)。
ゲームをちょっとだけデザインする立場、そしてリアルタイムに百名以上のプレイヤー心理や動向を確認しつつ調整する立場にあると本当にプレイヤーの動向は興味深い。
PBMやPBeMも含めて人間心理の傾向や動向を考えて調整は繰り返しているけれど、全体を知る立場と局所的な情報しかしらない立場ではやはり行動は変わってくるのは当然だとは思う。

現在は多くの能力値の表示を廃止して数値表示から文章で能力をできるだけ表示するように変更しています。
何故、こうなったかというと、誤差の範囲の能力値修正でも参加者はそれに一喜一憂してしまい本来の意図とは違った動きをするプレイヤーが出てしまったからです。

かといってその数式や数値判断を全て公開すると、今度は、その数値きっかりに行動するように多くのプレイヤーがなるのは当然ですし、その公開された情報部分だけデジタルに動くプレイヤー心理が存在してしまいます。

心理的に、小数点以下、誤差の範囲のミクロな数値移動でも自分に不利な移動であればそれをしたくないという心理はわかります。デザインとしてもそれを考慮に入れているべきです。
ただ、そのようなミクロな数値移動に一喜一憂するのではなく、それの数千倍に相当する大きな数値移動を重要視するべきですし、全体を見渡すバランスを知っている人間にはその誤差よりも大切にすべき部分がわかっています。
塵も積もれば山となるのはわかるのですが、普通の行動を行うだけでその数千、数万回分の行動に匹敵する行動をおざなりにして何故小数点以下の行動を一喜一憂してしまうのか・・その点が気になり、表示を数値から能力表現に改める事になりました。
ミクロな数値変化でも自分に不利ならば行いたくないプレイヤー心理はわかります。
より大きな重要な部分をプレイヤーに理解させてあげる必要も感じますし、その違いを理解すれば無視できる数値変動よりもより大きな部分を注視してもらえるようになるのか試行錯誤の段階です。
数値が不利になるのは、それが大きな数値でも小さな数値でもプレイヤーにとっては嫌だと思う人はいると思います。
それが間違っているとは思いません。
逆にそうデザインしたデザイン側にも問題があると考えるべきだとも思います。

問題は本末転倒にならない範囲にどうデザインするかという事になってくると思います。
ゲーム上無視できる小数点以下の確率の有利さの為に、他参加者の迷惑を顧みない行動となり自分さえ良ければいいと考えるのか、不利だから選択しないのは当然と考えるのか、ゲームバランス上誤差の範囲の小数点変動は、見えないように調整して現状は対応しています。

誤差の範疇の数値移動の変化を見せない事で、結果、より全体を見渡して必要な事に取り組む人は能力を伸ばし、些細な状況に振り回される人は大局を見失うという状況にそれなりにバランスとしては満足しています。(あくまで暫定ですが)
本当に必要なことは些細な誤差の変動ではなく、大局として何をなすかという大きなウェイト部分に注視して欲しいと思っていますので・・。
廃人のようなバランスや能力値上昇を求めていないので、機械的な行動での最適効率を求められる事に違和感を感じてしまうということもあります。
それをやってしまうと、本当にキャラクターが利己的な機械のような行動しかしなくなり、あまりに人間的な要素の欠如したキャラクターがそこに出現してしまうからです。
プログラムする以上、数値や数式で管理するキャラクターです。
揺らぎ要素を組み込んだ筈なのですが、その揺らぎにすら効率を求める行動心理にどう対応すべきか考えています。

冒険の達成の為に可能な限り極限まで有利な状況を作ろうとする心理はわかります。
現状で可能な限りの能力を引き出すことも必要だと思います。
ただ、それにこだわりすぎると、今度は、無意味に最強能力値を誇るだけでそれを生かせない状況になったり、武器や装備のゲーム上の設定上の有利さだけを組み合わせたちぐはぐな装備設定になったり、重量設定がないからと、山ひとつ分の財宝を抱えて帰還する冒険者となったり、様々な状況が出現してしまいます。
それはデザイン上、それを想定しえないデザイナーも問題かもしれません。
システムバランスを組む時点で可能な限りの最適値を出そうとするプレイヤー心理は必ずあります。
ですが、同時に、『書かなくても判断できるだろう』と記されない部分もまたあります。
ルールにかかれない部分はGMの裁量にまかせられる部分もあると思いますが、同時に、ルールにかかれない部分はプレイヤーの有利に無原則に拡大解釈できるものでもまたないとも思います。

結局、長い時間を経て、『書かなくても判断できるだろうと判断した場所も書き記す事になり』、それ故に読みづらいルールやガイドになったことは私の未熟さが示すものだとも思いますが・・。

キャラクターの生存、状況のクリア、達成の為の能力値ですが成長の楽しみと能力を誇るという意味合い、能力値の意味・・成長の楽しみはありますしそれを否定はしませんし、ひとつの要素だと思います、あとは、本末転倒にならないようにどうするかは常に課題となりそうです。

なお、蛇足かもしれませんが、そのような数値的な有利さよりも、演じる事、周囲の冒険者と数値ではなく、その心情で交流ややりとりをしている冒険者同士の方が生き生きしているように感じてしまうのは私の気のせいなのでしょうか?
能力値とそして演技・・その答えはプログラムや数値で出せる先にあるのかもしれません。

何事にも程々というのはあるとも思いますが・・。(どうしてもこのような話は極論になりがちですので)