ジークス島戦記ロストクロニクル

最近は軍事や時事関連多いですが、別の世界線の話と言うことになってるので本気になさらず(念のため ※TRPG用資料で判定処理の為)

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  ジークス島戦記ロストクロニクルって?

 SOS2(スクリプトオブサーガ)というブラウザRPGを、『時間が合わない、時間が取れない、メンバーがいない』等、TRPGを遊ぶになかなか条件がそろわない人、そして、TRPGって何?という方まで、

『冒険者になりきって冒険世界を楽しもう!』という趣旨で展開されるファンタジーRPGシステムです。 ALFRED-SYSTEM自体は、その時代の可能なメディアでファンタジー世界を構築して楽しもうという趣旨で運営されるゲームシステムです。  ジークス島戦記自体は、多くの媒体で遊ばれましたが、CGIで運営されるのが、ロストクロニクルとなります。

参加料金はありません、『他の参加者と協調して楽しむ事ができる事が参加資格』、
趣味で運営しておりますので、同じ卓に集まった仲間とわいわいやれる場所を提供できればいいなと思っております。

もちろん、遊ぶにはお互いが楽しむ為の礼儀やマナーは身につけてね? ジークス島戦記ロストクロニクル

このページは、ゲームシステムの調整報告や、デザインの参考の為のリンクや情報を集積・分類しておく為のページとして運用されておりBlogとして機能しておりません。 GM本人の雑文やプレイヤーに宛てた情報などが含まれます。 ※ご注意 このモードはGMの備忘録モードです。 参加者に宛てたフォーマットや連絡事項は、
こちら 参加者用連絡事項 です。


参加者用連絡事項INDEXモード です。 追加カテゴリ  TRPG   RPG   PC です。

(※情報の検索用に書き込まれた日付が一致しない場合があります。また、個人用にリンクしていますがリンク先の著作権の管理と許可についてはそれぞれの運営者の方針によって様々です、2010年以降改正著作権法適用下ではダウンロードは違法と判断される場合がありますので、リンク先については個々の運営者の方針をご確認ください。)


利便性と危険性(脱線:プレイヤーとしての表情を伝えるために)

Blog、ここ一ヶ月程、TRPG関係で様々にリンクされたりTRPG関係で検索したりその情報の検索性は非常に高く、便利。
と、同時に、その情報ソースとその情報が非常に危ういということも同時に感じた。
個人の情報ソースであったり、感想であったり、Blogからいろんなところにたどり着く。
そしていろんなところにリンクされたり閲覧されたりする。

唯の日記だとか感想だとか思っても迂闊なことは書けなくなってしまう。
一個人の感想であっても、その発信が多くの人が閲覧するとき、その反響は無視できなくなる。
特にその内容が誰かの不利益となる可能性があればなおさらだ。
いらぬ誤解を生みたくもないし、論争で白熱し混乱を呼び込む事もできれば避けたい。

運営者であれば掲示板での論争故に閉鎖に追い込まれたサイトの存在が明日はわが身という危惧もある。

でも、なんでTRPGをあんなに皆、熱く語れるのだろう?
『楽しく遊ぶためのツール』それを皆でうまく使いこなす。

その為に、できるだけ同じく楽しみたい人で遊ぶ、『GMもプレイヤーも皆で楽しむ』ものではなかっただろうか・・違うのかな?

TRPG論とかを戦わせるのは楽しいとは思う、PLとPCが別であるように、論争を戦わせたあと、素直に握手できるような関係であるなら意見交換するのも面白いと思う。
意見を合わない相手=敵であってはちょっと勿体無いとも思う。
それぞれが意見を持ち、そして、それを論ずるのはいいけれど、意見が合わない相手を否定ではこれから先も導かれるものは有益なものは出てこないと思う。
更にはそれ故に相手と険悪になったり敵とみなされるなら、そんな論争はつらい。

と、思っていながら、見るだけでそれを口に出しては言えなかったり。

論争という段階で争う形を回避してしまう自分がいる。
自分に争って失うものが大きすぎるからなのかもしれない。

争う前に回避する手段を模索することが多い。
管理者が争っていては、運営が荒れるだけという事を知っているからでもあると思う。
敵を作って管理者が得となる事はあまりないし、争う前にそれを回避する手段と、相手の要望を可能な限り受け止める姿勢を持ちたいと思っているものもある。

脱線するが、交渉事をできるだけ穏やかに進める場合は、怒っている相手の意見をとにかく聞くこと、相手のわだかまりなり意見などをとにかく出してもらってそれを一度全て聞いてあげる事。
そして、その上で、その意見を尊重した上でより双方の妥協点を見つけ提案する事が交渉事、特にクレームに対する対応策だったりする。

頭ごなしに相手の意見を聞かず、あるいは決め付けている場合、多かれ少なかれ相手の反感を買う。
まぁ、わかっていても書かずに居られないってのも心理的によくわかるときもあるんだけれども・・・。
これは、ゲーム内での荒れた場合でも有効な心理の応用なので、使い所を間違わなければ活用できる筈。
もっとも、タイムロスが場の雰囲気よりも重要な場合もまたあるから、状況にあわせてですが・・・。

1000名以上のTRPG経験者、あるいはTRPGを知らない人を含めての人々の動向を見ると、プレイヤーとキャラクターは区別できていないことが多いし、逆に区別するときは、『キャラクターはこうだから』と問題を摩り替える時の常套句に使ってしまう事を見るのはちょっと悲しい。
キャラクターの設定でシナリオを崩壊させるのは、キャラクター設定の免罪符ではないことは熟練した経験者ならご存知の筈。

データ的にもキャラクターの性格とプレイヤーの性格は演技として切り離しているように見えてもプレイヤーが考える以上、プレイヤーの思考にキャラクターは準じてしまうという事はデータで出ている。
別人を演じるつもりでも無意識下にプレイヤーの判断基準は出てしまうものらしい。
では、TRPGはロールプレイングゲームなのに演技してはいけないのか?といったら、それもまたおかしな話になってくる。

ジークスでは、オンラインセッションやTRPGにはない、PLトーク部分を付記するというルールがある。
これは、プレイヤー=キャラクターではないのだけれど、それをうまく切り替えられない、切り替えても相手がそれを理解できない事が多い事を見越しての追加調整。
キャラクターが悪漢風を演じたとき、相手にプレイヤーも性格が悪いと思われる事を防止する為のもの。
ただ、悪漢を演じる場合、先も言ったプレイヤーの地が出るので、本当に悪漢プレイが好きな場合は、プレイヤーも悪漢だったりする。(笑)
※補足:悪漢プレイ好き≒悪漢と決め付けるわけではない。キャラクターの性格という理由付けをして悪事を喜ぶ深層心理下に本心が隠れている場合もあるという話に過ぎない。
多くの場合、PLフォローをつけると、悪漢を演じてもプレイヤーコメントでそのプレイヤーとキャラクターの差が見える事で安心できるということ。
(差が見えなかったら・・ある意味怖い)
言葉だけでやり取りする場所だけに誤解がそのまま一人歩きするのはよくないという配慮からの調整です。

実際のところ、人の良い人が多すぎて、悪人を演じても義賊になってしまうところがちょっと微笑ましいところですが・・・。
ただ、悪漢などを演じるときほど、PLフォローは確実に必要です。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的に、PLまで憎まれてしまうのは勿体無いし、同時にPLフォローできない人は本当にプレイヤーも性格が悪い場合もあるので、見分けるのに結構役立ちます。
これを使うと『キャラクターの性格だから』と言い逃れできなかったりします。
結構、内面まで読まれてしまうシステムだったりしますね。


会話で成り立つTRPGでも、ほんの少し付け加えるだけでプレイヤー同士の意思疎通がうまく行く場合いかない場合の差が出てくると思います。
突然の行動も、背景や心理描写が周囲がわからなければ、??、って事がある筈。

そこで、周囲が「そうくるかぁっ!」と沸くか、「なにそれ? なんでそうなる?」といわれるかで、演じ方やプレイヤーの評価が見えてくると思う。
勿論、それは、相手にもその状況にもよるから、絶対的なものではありません。

映画やドラマなどでは、その辺りを視聴者に理解させるように展開しますよね。
でないと、本当に面白くない番組になってしまいます。
ただ、時間の制約もまたある場合は、脱線と取られすぎない采配は必要でしょう。

たまにいると思います、とにかく話を壊して、それをゲームを自由度と誤解する人、多くの場合登録時点で弾かれますが、PLフォローを見ると、悪漢をやろうとすれば自ずとそこでばれるので、そういう意味では、プレイヤーが悪人というのは難しい形になっています。

TRPGという遊ぶための道具で喧嘩したり時間の無駄だと思いつつプレイするのはかなり悲しい、何故わざわざ貴重な時間を割いて不愉快な思いをしなければならないのか・・そういうものでもなかった筈。


できるだけ、何故その場所に集まってTRPGをするのか、その意味を大切にして欲しいと思う。
実際、本当にそのメンバーで楽しめない結果しか導き出されないなら、TRPGをする必要はないような気もするし。
メンバーを組む際に意見・意思確認は重要になってくるかもしれない。


blogを見て、様々にプレイスタイルを再確認する機会を得ました。
全てのプレイスタイルを語る全員の言葉を合わせると矛盾してしまって、どれが正しいのかわからなくなります、つまりはそれだけいろんな意見があるということ。

ですから、卓に集まった人の組み合わせで最適な答えは変わってくる。
TRPGの卓を囲んでどのようなプレイスタイルが良いのか、その相手に合わせて幅広い調整ができるように・・・なれるといいですけどねぇ・・。
できるだけ、スタイルが近い人で組むのが正解なのかもしれませんね。


しかし、これが数百人を同時に管理するとなるとさすがにそんなこと言ってられませんので、ある程度許容範囲を決めて、その範囲内で、可能な範囲の自由度を持たせるのが限界となってきます。

平和な日常を好む人と殺人鬼を混在させれば、平凡な日常を好む人が殺人鬼に殺されてしまいます、殺人鬼はいいでしょうけど、平和な日常を好む人はそれで納得できそうにありません。
プレイヤーにでも『相手を楽しませるエンタテイナーを求める』というのはその辺りになってくると思います。
平和な日常を好む人と殺人鬼を共存させるなら、殺人鬼と平和な日常を楽しむ人は出会わないように配慮しなければならないですし、殺人鬼とそれを追う警察とのドラマを作った方がいい、殺人鬼の欲求を満足させるために、平和な日常を好む人が我慢するわけにもいきません。
その采配をどうするか・・ TRPGというより、こうなってくるとコミュニティの維持に近い管理になってくるのかもしれません。
やりたい事、やれること、そしてその影響、数百人が共存する世界でそして個々のキャラ特性を尊重するには、ある程度の最大公約数を求める必要もあるようです。

数百人が混在するファンタジー世界となると采配と自由度の舵取りはなかなか難しいようです。

 ・・なんか同時にいろいろ詰め込んで趣旨がぼやけたような気がするな。

 結局、最終的には、人であるが故の多様性とそしてそれ故に抱える問題も内包してしまうんだろうなぁ・・人間のコミュニケーションって深いからねぇ・・。