飼っていた小動物が死んでしまい動かなくなっているのを見た子供。
親はどう子供に声をかけていいか戸惑っていると子供は・・・。
『おかぁさん、うごかなくなったから、電池を交換してね』
と、いったそうな。
最近の子供の一コマですが・・。
最近の子供は死に対して希薄といわれることもあるようです。
小動物の死とかに接する機会や、昆虫や植物へ結構、無邪気という言葉で残虐な事を小さい頃したような記憶があるのですが、そういう事に接する機会も減ったのかな?とも思います。
(ちょっと脱線)
無邪気とは実は恐ろしかったりします、人間が教育を受けたり死を身近に見て教わったり経験する以前、遊びで子供は直感的にいたずらで昆虫の足や蝶の羽をむしったりします。
いずれ経験や知識で怖いと感じたりするのは経験や本能によるものですが、無邪気な子供は時として残虐であるという事を理解しないまま遊んでいる事があります。
命の大切さを教えるのはその近くにいる者がどう教えるかによると思います。
そして、それを教えられる機会がないとき・・あるいは、間違って(意図して)教えるとき、人は別の成長の仕方をしていく事があります。
宗教や倫理観など、中世ファンタジー世界でそれが当然として教わった世界では常識はまた違うものであるかもしれません。
現代人の常識は、現代のその地域でしか通用しなかったりすることも多々あります。
SOS2では、キャラクターは簡単に死亡します、しかし、ゲームにありがちの薬や司祭の祈り、一定時間経過後には復活して起き出して来るという設定になっています。
参加者の意見調整により、ジークスでは、戦闘不能、重傷という名称に改訂されています。
(さすがに一定時間経過後に墓からよみがえるのは・・)
つまり、ジークスではプレイヤーの操る冒険者は基本的に死にません。どんな苦境であろうと、トラップを受けようと、トロールに致命的一撃を受けようと、『死ぬかと思った』と帰ってきます。(もしくは施療院送りからの治療となります)
守護霊(プレイヤー)の加護のあるうちは・・。
ペナルティは治療期間の行動不能という比較的軽いものです。*1
プレイヤーのような強力な加護のない市民や一般冒険者はあっさりと死亡し、魔物の襲撃で死亡します、プレイヤーキャラは強運な存在として生還します。
ただ、死亡する場合はあります、プレイヤーの加護を失い放置される場合と明らかに無謀な選択を行い、死なないと過信して行動を選択した場合です。
ある程度英雄に近い判定を行いますが、無敵ではないと考えています。
死を軽んじればそれは自分に帰ってくるとも考えています。
死なないからと幸運を過信する冒険者に永遠に強運が続くものと信じていられる程甘くもありません。電池を入れ替えれば再び動くようなものではないのですから。
なお、渡航審査前は、言葉を話せない、相手と会話できないキャラクター、行動に著しく問題のあるキャラクターは密かに暗殺者が遣わせられるとの噂もあります。
ご注意ください。
放置される冒険者は老兵の最後に似ています。
出かけると言い残しそのままいつの間にか消え去っていく・・。
人々の記憶から消えたとき冒険者の本当の最後となるのでしょう。
そして、最後の役目がそこにあります。
消息を絶った冒険者の姿を迷宮で見ることがあります。
骸として罠に身をもってさらし、後発の冒険者を警告するというのがわすれさられた冒険者の末路でしょう。
・・たまに恨みに思ったのか襲ってくる骸もありますが・・。