ゲームを運営する上で、参加者がどちらの方向性へ行きたいのか、ユーザーのニーズを知る必要はあります。
ニーズに常に迎合する必要まではないと思いますが、求めているものが全体のバランスの範囲内であればその拡張が可能であれば取り込みたいとも思います。
ユーザーの楽しみは様々です、ジークスはアートディンク社のルナティックドーン
http://www.artdink.co.jp/soft/soft_s03.html
の影響もまた受けています。
パソコンソフトとして「自由な冒険」をテーマに製作されたエンディングのない、目標のないゲームシステムです。
また、コーエーのジルオール http://www.gamecity.ne.jp/products/products/ee/Rlzill.htm
は、影響を受けているわけではありませんが、自由な冒険をテーマとして評価が高いようです、ルナティックドーンは評価が分かれるところで、目的がなくて何をやっていいかわからない、何が面白いのか?と思われる場合もあるようです。
近日続編がPS2で出ます http://www.gamecity.ne.jp/zo/
実際、ジークスでは参加者とGMの皆が楽しめればというデザインをしていますが、その中に交流・会話という要素を入れています、これは、これを入れないと、無言で単純殺戮を行うプレイヤーが頻発し、ゲーム世界が、無言の暗殺者だらけに簡単になるという現実があるからです。
TRPGに慣れている方であれば、演技や会話の取り交わし、交渉に長けていると思いますが、対象が小学生から社会人までインターネットができれば参加できるシステムである以上、コンシューマゲームに慣れた遊び方で参加される方も多いのです。
黙々と成長させて何が面白いのか・・強くなること、何らかのランキングに載ることを最初は目標とされるようです。
強くなることが自由な冒険のひとつの目標であることは構わないと思うのですが、その過程で、『効率を重視』となると安易に無言で戦闘したり、おざなりな会話を行う。
つまりは相手は戦闘する経験値であり、人とみなさないプレイが簡単に起こります。
実際、MMOなどを見れば状況はその縮図として現れると思います。
実際SOS2というゲームジャンルでは、無言戦闘は至極当たり前であり、同時にそれをマナーがないと感じられる方は早々にプレイを止めてしまう方もいるそうです。
この為、交流として一定以上の会話を必要とするというのはゲームバランスとして必須にしていますが、これは本末転倒と言わざる終えません。
『冒険者になりきる事で冒険世界を形作ろう』という約束がいつの間にか、効率の為に仕方なく会話をしているという感覚になっているのは本来の姿ではありません。
この辺りはゲームに何を求めるかという事だと思います。
TRPGを含め、参加者が全て同じ思考である事はありえません、また、MMOなどのユーザーの傾向の縮図もまたジークスに(最初である程度、弾かれますが)あります。
商売、戦闘、探索、普段は自動でやり取りされるその過程に会話、そしてその中に生まれる物語にこそ焦点を当てたいと考えています。
交流、交錯していく事で生まれるさまざまなキャラクター同士の関係、上層部で起こる確執や陰謀、事件、それに巻き込まれたり、阻止を試みたりする中で様々に作られていく絆や因縁、そのような物を生み出していく世界のデザインをしたい、そのような歴史を描きたいというのがジークスの目的のひとつでもあります。
・・・TRPGとはちょっと違うか、これ。