ジークスのシステムには根幹に大河RPG(エピック・サーガ)としての前作のプレイヤーキャラクター達が過去の歴史の登場人物として登場します。
キャラクター名を一定条件に制限するのも、過去の英雄として名前として奇を狙ったものだとそれ故に登場させられない可能性があるためです。
様々な周囲と交流やイベントの成功・失敗によって出来上がった自分の物語は自分の物語であり、周囲にも影響を与えます。
そしてそれによって出来上がった背景やキャラクターの過去は物語として語れるようなものであったり、人に言えない暗い過去となったりします。
『自分で持ち込もうとした設定では出せない自分の行動と周囲の行動で判定される背景設定』は、俺最強的な無敵君を希望するユーザーの設定を自然と弾き、演技の行動故の自分の行動で得られる状況というある意味自分のコミュニケーション能力とロール能力、判断力を試されるシビアなものです。
自ずと作戦指揮能力・洞察力・お約束の読み・そして一番重要なのが周囲との調和(カリスマ)能力が真価を発揮してきます。
暴走する部下を如何に勇め、組織として目標に邁進する指揮官となるか・・
あるいは的確に上司をもりたてる参謀となるか、一部下からのし上がるか・・
組織に入れば組織の力を使えるのではなく、組織に属する仲間に信頼され仲間と共に動く事で人数分の力を発揮する。
そういうシステムとなっています。
余談ですが、同時にこれには弊害があり、力を押し通すプレイヤーの存在は組織を牛耳り破滅させる可能性も発生しました。制御できない力に酔った時人はどのような末路を示すのか歴史に刻まれる事となりましたが・・問題はその下に居た部下がそれを止める事ができなかったという問題点を現在は修正されることとなった経緯もありました。
実際には同時にそのような演技をできるプレイヤーもまた少なく、多くの組織はその可能性を持ちえながらも上部役員(NPC)によってそれぞれの思惑によって動いていきます。
参加者以外にいるNPC達もそれぞれに過去プレイヤーであったり、過去の戦乱を乗り切った人達ですから一癖も二癖もあるもの達です。
今期がどのように歴史を綴られていくのかは、誰にも予測できない物語となるでしょう。